2017年12月24日日曜日

クリスマス礼拝 マタイの福音書2章1節~12節「降誕~東方の博士たちが~」


イタリアのミラノ大聖堂、カナダのバンフ国立公園、エクアドルのガラパゴス諸島、ナミビアの砂漠、オーストラリアのグレートバリアリーフ、中国の万里の長城。皆様は、これが何だか分かるでしょうか。日本人が、一度は旅行に出かけたいと思っている、人気の場所だそうです。「自分も言ってみたいなあ」と思う場所、「既に行ったことがある」その様な場所があるでしょうか。

私たちはしばしば旅に出ます。観光旅行もその一つですが、他にもビジネスマンは商売のために、政治家は外交のために、新婚のカップルは新婚旅行にと、様々な理由があるでしょう。

また、どうしても会いたい人がいるということも、人を旅へと駆り立てるものかもしれません。私の知人は、初孫の誕生を聞いて一目見たいと思い、ブラジルのサンパウロに出かけて行きました。腰痛と心臓病を抱える知人にとって、飛行機を乗り継いで片道二日近くもかかる地球の裏側への旅は、困難と不安もありましたが、初孫を一目見たい、抱いてみたいという思いが彼を動かした様です。

しかし、二千年前、救い主イエス・キリストがユダヤのベツレヘムに生まれてから、およそ一年後のこと。その救い主のもとに、その頃の常識からすれば理解しがたい旅をしてきた人々がいました。

 

2:1「イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来た。」

 

当時ユダヤはローマ帝国に支配される弱小国。そんな国に、遠路はるばる東の国から旅をしてきた博士たち。景色の良い地中海の島に旅をすると言うのなら分かる。政治と経済の中心ローマに旅をすると言うのも理解できます。しかし、有名な観光地もないユダヤ。政治的にも経済的にも力なきユダヤの国に、一体何の用があったと言うのでしょう。彼らは、こう語ります。

 

2:2「彼らは言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」

 

博士たちは東の方にある自分たちの国で、「ユダヤ人の王として生まれた方の星」を見たと言っています。この星について、よく言われることがあります。それは、地球から見て土星と木星が重なって見える時に起こる特別な光ではなかったかと言うことです。

その頃、この地方で盛んに行われていた天文学では、土星はユダヤを、木星は王を示す星と考えられていたとされます。実際、紀元前の7年頃に、この地方で特別な光が観測されたことが記録に残されており、イエス様の誕生と重なります。

恐らく、博士と言うのは、星の研究をしていた学者か祭司で、王様の相談役、顧問等として重要な仕事をしていた人々、知識も経験も豊かな賢者であったのでしょう。ユダヤから見て東と言っていますから、彼らの母国はバビロン、現在のイラクか、ペルシャ、今のイラン地方と考えられます。

キリスト教と言うと西洋の宗教、クリスマスと言えば西洋のお祭りと言うイメージがあります。しかし、羊飼いたちが礼拝に来て以来、イエス様を礼拝しに来たのは、私たちと同じ東洋の人であったと言うこの記録は、日本人にも何か嬉しく、キリスト教を身近に感じさせてくれます。

それにしても、博士たちは、どのようにして救い主のことを知ったのでしょうか。聖書は何も語っておらず、よくは分かりませんが、当時この地方には、イスラエルの子孫が散らばって生活をしており、彼らを通して旧約聖書を知り、聖書が教える神を信じる人々がいたと考えられてきました。 

博士たちも、そう言う敬虔な信仰者の一人であったのでしょう。神が与えてくださる救い主は、ユダヤの王として生まれる。このわずかな預言のことばを頼りに、はるか東の国で、日々仕事をし、生活を営んできました。

そこに、待望の救い主がユダヤに生まれたと言う知らせが届きます。今とは違い、その様な知らせが事実なのかどうか、確かめるすべもなかったと思われます。しかし、博士たちの心はその知らせに動かされ、はるかユダヤへと旅立ったのです。どれほど、彼らが神様の約束を信じていたか、救い主の誕生を待ち望んでいたかが伝わってきます。

それにしても、この旅は大変な旅でした。準備だけでも困難の連続だったことが想像できます。博士とは国において高い地位を占める、重要な仕事。旅に出るためには長期の休暇が必要であり、その願いが簡単に認められたとは考えられません。なぜなら、会いに行くのはユダヤの国に生まれた王。博士の国がペルシャにしても、バビロンであるとしても、この訪問には、政治的にも、経済的にも、何のメリットもないからです。

また、長い旅を続けるための物資の準備。黄金、乳香、没薬という高価な贈物の用意。加えて、旅の途中、強盗から身を守るためのガードマンを雇うなど、大変な時間と費用が必要でした。命の危険をも覚悟したうえでの旅でもあったのです。

それなのに、このような旅へと彼らの心を動かしていたものは、ただユダヤの王として生まれた救い主を礼拝したいという、たったひとつの願いであった。そう、聖書は語るのです。

しかも、困難は、それで終わりではありませんでした。ようやくユダヤの国についてみると、博士たちの心を挫くような出来事が待っていたのです。ユダヤの王は、王として生まれた方のことを知りませんでした。宗教家たちも、聖書の預言は知っていましたが、救い主が誕生したことを信じてはいなかったのです。

 

2:3~8「それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった。そこで、王は、民の祭司長たち、学者たちをみな集めて、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。 彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれているからです。『ユダの地、ベツレヘム。あなたはユダを治める者たちの中で、決して一番小さくはない。わたしの民イスラエルを治める支配者が、あなたから出るのだから。』」

そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、彼らから星の出現の時間を突き止めた。

そして、こう言って彼らをベツレヘムに送った。「行って幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」」

 

 ヘロデはその功績によってユダヤの王の地位を、ローマ帝国から与えられた人物、ユダヤ人ではなく、ユダヤ人が嫌う異邦人の王でした。しかも、彼は権力欲の塊で、王の地位を脅かすと思われる者は、妻であろうと、子であろうと、容赦なく抹殺していました。「ヘロデの子どもであるより、ヘロデの豚であるほうが安全だ」。人々が、いかにヘロデを恐れていたかを示すことばです。

ですから、ヘロデ王が「幼子のことが分かったら知らせて欲しい。私も行って拝むから」と、博士たちに語ったのは真っ赤な嘘。本心は、将来邪魔者になるかもしれない子どもを、一刻も早く抹殺したい。恐ろしい計画を心に秘めていたのです。

また、救い主が生まれるとの約束を受けた神の民、ユダヤ人の学者や宗教家たちは、救い主の預言について知ってはいても、救い主が誕生したことを信じていませんでした。「自分たちのような外国人が、遠い国から旅をしてきたというのに、王は何事かを企み、本家本元ユダヤの人々は信じてもいない。これは一体どういうことか。」博士たちは、こんな人々の姿にどれ程驚き、がっかりしたことでしょうか。

しかし、それでも彼らの心は挫けることはありませんでした。神様が彼らとともにおられたからです。用いられたのは、母国で見たあの星です。

 

2:9,10「彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。」

 

 星が博士たちの行く道を先導し、幼子のところまで進み、その上にとどまったとあります。もし、この星の導きがなかったら、どうだったでしょう。小さな町とは言え、ベツレヘムにはイエス様と同じ頃に生まれた子どもは他にもいたはずですから、博士たちは家々を訪ね歩かなければならず、迷ってしまったかもしれません。

暗い夜空のもと、心細く歩み道。その道を照らすひとつの星。その星を仰ぎ、導かれてゆく博士たち。彼らがお得意の天文学でも、はかり知ることのできない不思議な星の動きに、神様の守りを覚えた彼らは、非常に喜んだとあります。

インマヌエル。神様はいつも私たちともにおられる。先週学びましたメッセージを、今日の個所にも確認することができます。私たちの人生にも、先の見えない暗い道を、ひとり心細く歩むことがあるでしょう。しかし、そのような時でも、神様はともにいてくださる。最も良いところへ導いてくださる。この時の博士たちの喜びを、私たちも共に感じることができる所ではないかと思います。

そして、ついに博士らは念願のユダヤの王、救い主をその目で見ることができたのです。

 

 2:11,12「そして、その家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈物としてささげた。それから、夢でヘロデのところへ戻るなという戒めを受けたので、別の道から自分の国へ帰って行った。」

 

黄金は王に対するささげもの。乳香は祭司に対するささげもの。没薬は死者に対するささげもの。博士たちはイエス様がどのような生涯送られるのか、それをおぼろげながらも知っていたのでは、とも言われるところです。

しかし、彼らがどれほど救い主について知っていたとしても、現在の私たちが知るところに比べれば、はるかに小さく、部分的であったはずです。私たちはこの幼子が、やがて神様の教えを説き、罪人のため十字架に命をささげ、死んでくださった方であることを知っています。ですから、遠くから礼拝しに来る人がいたとしても当然ではないかと考えます。

しかし、博士たちが置かれた状況を思えば、これは本当に常識を超えた旅、驚くべき旅としか言いようがありません。そして、この点にこそ、マタイが博士たちの旅を聖書に記した意味があったのです。

何度も言いますが、博士たちの旅の目的、それは約束の救い主を礼拝する、ただそれだけでした。「私たちは、ユダヤ人の王としてお生まれになった方を拝みに、つまり礼拝しに来ました。」彼ら自身が語っているとおりです。

この世の常識から言えば何の利益もない旅。多くの時間と費用をかけ、危険を覚悟の上でなければ出来ない旅。その目的はただひとつ、幼子イエス・キリストを礼拝することのみ。それ以外の目的はなしでした。

しかも、これだけの時間、費用、犠牲を費やしてなしたことは、ただ一度幼子の救い主をひれ伏して礼拝すること、黄金、乳香、没薬をささげて、救いの神に感謝をあらわすことだけだったのです。このただ一度の礼拝に、博士らは満足したのです。

 幼子のイエス様のために、博士たちが為した犠牲と献身。これを真の神礼拝と言わずして、他に何と言うのでしょうか。博士たちにとって、神を礼拝することはこれ程の犠牲を払ったとしても、行う価値のあること。この世の富や地位を守ることより、はるかに大切なことであったのです。

 現在の私たちよりも、はるかに少なく、部分的にしか救い主を知ってはいなかった博士たち。しかも、その救い主はまだ赤ん坊で、貧しいユダヤ人夫婦の大工の幼子であったのに、礼拝をささげた博士たち。この礼拝につい思い巡らす時、彼らよりも救い主とその恵みについて、はるかによく知る私たちの礼拝は、果たしてどうかと問われます。

私たちは、神様を礼拝するために旅をする必要はなくなりました。イエス様が、いつもともにいてくださるからです。私たちはいつでもどこでも神様に近づき、親しく呼びかけ、礼拝することができるようになりました。

これは、博士たちに比べると大きな恵み、彼らも羨むほどの恵みです。しかし、その様な恵みの中にあるために、かえって礼拝が形式的で、心の真実に欠けるものとなってしまうことがないかどうか、今日ひとりひとり振り返りたいと思います。

果たして、私たちには、あの博士たちのように、大きな犠牲を支払うことになっても、神様を礼拝したいという願いがあるでしょうか。私たちにとって、神様とは、自分が持てる最もよいものをささげる価値のあるお方でしょうか。私たちは、神を神としてふさわしく礼拝するために、どれほど聖書を読み、考え、時間を用いているでしょうか。

神様に背いた人間が失ったもの。それは、礼拝すべき神とその髪を礼拝する心です。イエス様は、人間が礼拝すべき神と、神を礼拝する心を示すため、この世界に生まれてくださいました。今朝、私たちは東方の博士たちの姿に、真の礼拝の心を見、それを学びたいと思うのです。神様を礼拝することを、この世の何よりも価値あることと考える者。神様を礼拝することひとつで、心満たされる者。私たち皆で、その様な歩みをしてゆきたいと思います。今日の聖句です。

 

ヨハネ114「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」

 

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