2018年2月25日日曜日

ヨハネの手紙第一4章9節~11節「信仰の仲間と生きる喜び」


皆様、今朝のウェルカム礼拝のお話のテーマは、「信仰の仲間と生きる喜び」です。とても内向きな題名で恐縮なのですが、話の内容は「教会というところはどういうところなのか。そして教会の中で人々が交わるということはどういうことなのか。」ということです。皆さんの中には、ご自分はクリスチャンではないけれど、ご家族や友人がクリスチャンで、それでそれらの方々に誘われて教会にいらっしゃった、という方がほとんどかもしれません。その誘ってくださった方が、毎週通っている教会というところはいったいどういうところなのか、そしてそこで何をしているのか、という視点で話を聞いていただければ幸いです。

 それではまず、「教会というところはどういうところなのか」ということについてお話をします。教会といいますと、よく教会の建物のこと、つまり教会堂のことを考え勝ちです。しかし教会というのは、本来はそこに集まっている人々の群れを指します。この教会に集まっている信徒の皆様が教会ですし、世界中のクリスチャンの群れを指して教会と言います。

 ではその教会というのは、どういうところなのか。そのことについて先ほど読んでいただいた聖書のみことばで確認します。411節「愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。」と書かれています。これはヨハネという人からキリスト信者に宛てられた手紙のことばですが、「愛する者」ということばはもともとは「愛されている者」という言い方になっています。教会、すなわちキリストを信じる者たちの群れは、神に愛されている者たちなのだということです。

 さてでは、神に愛されているとはいったいどういうことでしょうか。そのことについて教えているのが9節「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。」ここに出てきます「ひとり子」というのは、神様のひとり子のイエス・キリストのことです。「世に遣わし」というのは、神のひとり子を人間としてこの世界に送り込んでくださったということです。乙女マリヤによって赤ん坊としてひとり子をこの世に送ってくださいました。クリスマスというのは、そのことを記念する日です。神様は天と地を造られた創造主ですが、その神様が地上に被造物のかたちをとって来られたということです。ここに神の愛が示されていると、ヨハネは言います。

 では、キリストが人間となって地上に送られてきたことが、どうして神の愛が示されたことになるのでしょうか。10節「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」キリストが地上に来られた理由や使命です。「私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子」、これが神様がキリストを遣わされた理由でした。ここに「私たちの罪」という言葉が書かれています。実は私が若いときに最初に教会に行ってから、聖書の話で何が分からなかったかと言いますと、この罪人ということでした。キリストが私たちの罪のために身代わりになって十字架上で裁かれたと言われましても、どうして特に悪いことをしていない私に罪があり、なおかつキリストがその身代わりに裁かれる必要があるのかと、内心イライラしながら説教を聞いていたものです。

 けれどもやがて、自分が罪人であるということに徐々に目が開かれていって、その罪のためにキリストが十字架にかかって死なれたことを受け入れ、洗礼を受けることになりました。今は罪ということを、次のように捉えています。それは罪とは、自己中心の心だということです。よく「○○ファースト」という言い方がされますが、罪とは「自分ファースト」であるということです。よく言われることに、罪と言う言葉の英語はSINなのですが、そのスペルの真ん中に「I」つまり「私」がある。罪とは私が中心である、と言うわけです。

 自分中心になる結果どういうことが起こるのかと言いますと、もし自分の都合が悪い人が目の前に存在しますと、そんな人はいなければいいと思うものです。そして、その人の存在そのものを憎んでしまいます。その「憎しみ」ということについて、聖書は「兄弟を憎む者は、人殺しです。」と教えています。実際に誰かの心臓を止めるような殺人をしなくても、憎しみという思いは人殺しと同じ罪なのだというのです。なぜならば、人を実際に殺す時というのは、目の前にいる人の存在が邪魔だから、その存在を抹殺するためにその人を殺してしまうわけです。そして心の中で憎むことは、まさにその殺人と何も変わらない心の在り方なのだというのです。

 また自分がトップであると思うことは、他人がすべて自分よりも下にいる、自分よりも劣っている人間であると思うことになります。そうしますといろいろな理由をつけて、他人を蔑んで馬鹿にします。この人を馬鹿にすることについて聖書は、「兄弟を馬鹿にする者は、燃えるゲヘナに投げ込まれる。」と教えています。私は今まで一体、燃える地獄に投げ込まれてしまうような蔑みの思いを、何百回持ったことかと思わされています。

 さてしかし、聖書でどんなにそんなことを言われましても、私たちは次のように思わないでしょうか。「確かにそうかもしれない。けれども自分は人を憎んだからといって、それをそのまま口にしたり態度で表すことはしない。だから私が憎んだ相手は、何の傷もついていない。また確かに心の中で馬鹿にすることはあるけれども、決してそのことは口にはしないどころか、むしろその相手とうまく付き合っている。一体そのどこが、罪人だというのだろうか。」とです。

 けれども罪というのは、他人が自分をどう見るのかということとか、また自分で自分をどう思うのかということとかには、関係ありません。罪とは、自分中心、自分がトップであると思う、その心の状態のことなのです。腐った肉が悪臭を放つように、自分中心の罪の心が、憎しみや蔑みという悪臭を放出してしまうのです。そしてその心は、他人には見えませんし、自分でもごまかすことができます。しかし心の底の底をご覧になられる神様の御目には、その心のすべてが見られています。そしてその神様が、私たちが憎んだり蔑んだりする心に対して、燃える地獄に投げ込むというほどに怒っておらけるということを、実は人間はほとんど無感覚になっています。

 しかしです。しかしでは、神様はその激しい裁きを人間に下されるのかと言いますと、そうではありません。10節にありますように、「私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わ」してくださったのです。つまり、私たちを裁く代わりに、イエス・キリストを身代わりに裁くことで、ご自分をなだめられたというのです。そして、「ここに愛があるのです。」と説明されています。キリストの十字架に神の愛があるのだ、とです。ここで書かれています愛とは、どんな愛でしょうか。それは、他者のために自分のいのちを犠牲にするという愛です。他者中心の愛です。

 「主」という言葉をローマ字で書くとSYUとなり、真ん中にYがあります。YYOUの頭文字。つまり、YOUが中心であるということに通じます。主なる神様は、自分中心の正反対の、あなた中心のお方であるということ。ですから、あなたを裁かずにひとり子を裁いて、あなたを救ってくださったということ。これが神の愛です。また、教会という言葉をローマ字で書いても、KKの間にYOU、つまりあなたという言葉があり、教会もあなた中心の場であるということを現わしていることになるのです。

 9節「その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。」。この「いのち」とは、神のいのちのことです。神のいのちとは、「あなた中心」といういのち。あなたのために、わたしのいのちをささげますといういのちです。罪人である私たちの持っているいのちは、自己中心といういのちです。そのいのちは人を蔑み、人を殺すことしかできないいのちです。そんな恐ろしいいのちを持っている私たちのために、神様はイエス・キリストを十字架につけて、他者中心といういのちを得ることができるようにしてくださったとのです。キリストを信じて救われるということは、この神様のいのちであります、他者中心といういのちをいただくことでもあるということです。

 ではそんな恵みをいただいた教会は、つまり信仰者は、どのように生きなさいと教えられているのでしようか。それが11節後半です。「私たちもまた互いに愛し合うべきです。」これが信仰者通同志の交わりの在り方です。信仰者たちは他者中心という愛をもって、交わりなさいということです。人間はもともと、自分中心のいのちしかもっていません。ですからそのままですと、他人をさげすんだり憎んだりして、いつも戦闘状態のままでしか他人と交わることができないのです。常に相手は自分を認めるのか、自分を尊敬するのか、自分のために何をしてくれるのか、自分を愛するのか。そういう風に他人を見て、そして他人にそれらを強要しているのです。言わば、それは他人から自分が欲するものを奪おうとする愛です。そして相手からそれをもらうことができないと、その相手に心を閉ざしてしまうのです。しかし神様のいのちをいただいてからは、いつも相手をどのように支えようか、どのように補おうか、どのように励まそうか、どのように愛そうかという生き方、交わり方を可能にしていくのです。その愛は奪う愛の反対の、与える愛です。相手の望むことを与えようとする愛です。

 聖書で教会のことを、「キリストのからだ」とも表現しています。キリストが頭で、信仰者はそのからだだと。そしてからだは一つですが、からだの器官は数多くあって、信仰者一人一人がその器官であると教えています。このたとえは、他者中心の交わりの在り方というものを、とても分かり易く教えています。と言うのは、たとえば目は、目以外のすべての体の部分のために働きますが、目そのもののためには存在していません。またたとえば、右手は体中をさわることができたとしても、しかし右手がどんなにかゆくても、右手はその右手を掻くことができません。そのようにからだの各器官というものが、他者中心の働きをするように構成されているということが分かります。人にはそれぞれ、賜物が与えられています。ほかの人ができないことを、ある人は平気でできます。けれども逆にその同じ人が、他の人が平気でできることをほとんど何もできないということがあります。なぜなら、一人一人がからだの各器官だからです。目や耳や口や手や足の人は、できることとできないことがあるのです。ですから自分のできることで他者に仕える、そのような他者中心のいのちで交わりなさいということです。

 以上が、教会についての一つの説明です。そしてこの教会、つまりキリストを信じる者たちに与えられているいのちは、単に日曜日に礼拝に集まった人たちの間だけで用いられるものではないということも、覚えたいと思います。そのいのちは、家庭や学校や職場や地域で、発揮されていくべきものです。

 たとえば、夫婦関係で大事なことは、夫の妻に対するいたわりの思いと、妻の夫への尊敬の念であると言われます。他者中心のいのちで生きるとき、夫はいつも妻をいたわろうとし、そして妻はいつも、夫に尊敬の念を伝えようとします。これとは逆に、夫が妻に尊敬するように迫り、妻が夫にいたわりを迫ったりしたら、次第に夫婦関係にひびがはいっていきます。人間の悩みは90%以上が人間関係だと言われています。その原因は、自分中心、自分がトップという、罪のいのちのなせる業なのです。相手が変われば自分も相手に良くすると思うものですが、そもそも相手を変わらせようと思うこと自体、自分が中心である思い以外の何物でもありません。他者中心のいのちは、相手を変えようとするのではなくて、自分が相手のために変わろうとするいのちです。神様のひとり子のイエス様は、「神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にし、仕える者の姿をとり人間と同じようになられたのです。」と、ピリピ2:6-7に書かれています。これが、神様のいのちです。神様の愛とは、これほどまでにご自身を変えてでも、人間のために手をさしのべてくださるものなのです。

 私たちは罪人ですから、キリストから離れた途端に自己中心のいのちに戻ってしまいます。木の枝につながっている果実のように、いつもキリストにつながって他者中心のいのちで生きていくことです。つまり、自分はキリストの十字架を信じているので、他者中心に生きるという神のいのちをいただいているのだと、信じ続けながら生きていくことなのです。毎週の礼拝におきまして、いつのまにかキリストから離れていて、自己中心のいのちをもって生きてしまっていたということに気づかされては、悔い改めていきたいと思います。間違っても自分の古いいのちである自己中心のいのちを、何とか改良しようなどとは決して思わないことです。生まれながら持っている自己中心の心は、煮ても焼いても他者中心の心にはなりようがありません。他者中心のいのちは、神様からだけいただくものです。それをいただく方法は、ただ一つだけです。イエス様の十字架を信じること以外に方法はありません。まだ洗礼を受けておられない方々には、是非ともこの神様のいのちを得させてくださる十字架のキリストに現わされています神様の愛を受け取っていただきたいと願います。そして自己中心のいのちが、他者中心のいのちに変えられる人生があることを、体験していただきたいと思います。

 最後に今日の聖句を皆様とご一緒にお読みして、終わりたいと思います。「人の子が来たのは、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」(マタイの福音書20:28)

2018年2月18日日曜日

ルカの福音書24章44節~53節「一書説教 ルルカの福音書~証人として~」


六十六巻からなる聖書。そのうち一つの書を丸ごと扱い説教する一書説教。アドベント・クリスマス、年末年始を経て、今日は久しぶりの取り組みとなります。通算四十二回目、新約篇三回目の一書説教となります。

 新約聖書の冒頭四つは、その名も「良き知らせの書」「福音書」と呼ばれるもので、主イエスの活動を記したものとなります。旧約聖書にて、繰り返し告げられた救い主の到来。その約束を真正面に受けて、約束の救い主が来たと告げる福音書。特に最初の三つの福音書は、「共観福音書」と呼ばれ、同じ場面、同じ出来事が記録されます。マタイ、マルコ、ルカと読み進めた人が、何回も同じことが記されていると感じたら、それで良いのです。

とはいえ、同じ場面、同じ出来事の記事でも、完全に同じというわけではありません。それぞれの著者の視点、著者の意図に従って記録されています。「群盲象を評す」と呼ばれる寓話があります。目の見えない方が象を触る。足を触った人は柱のようだと言い、鼻を触った人は木の枝のようだと言い、腹を触った人は壁のようだと言う話。象という巨大なものを説明するのに、それぞれ異なる視点がある。そうだとすれば、イエス・キリストを紹介するのに、複数の視点があるのは当然と言えるでしょうか。

今日はルカの福音書に取り組みます。著者ルカの視点、ルカの意図を考え、味わいながら読み進めることが出来れば幸いです。毎回のことですが、一書説教の際には、扱われた書を読むことをお勧めいたします。一書説教が進むにつれて、教会の皆で聖書を読み進めるという恵みにあずかりたいと思います。

 

 第三の福音書、その著者ルカ、おそらくはアンテオケ出身の人物と考えられます。使徒の働きからすると、パウロの伝道旅行に度々同行していることが分かります。パウロの手紙では、「医者ルカ」(コロサイ4章14節)と紹介されています。その知性の高さは記された内容に存分に表れていて、「歴史家」とも「神学者」とも「ジャーナリスト」「文豪」とも目されます。

マタイの福音書はユダヤ人向けと言われるのに対し、ルカの福音書は異邦人向け。旧約聖書に馴染みのない、私たちにとっても、読みやすい福音書と言って良いでしょうか。朴訥としたマルコの福音書に対して、流暢なルカの福音書。極めて美しいと言われるルカの言葉は、「ルカの福音書」と「使徒の働き」があり、この二つを合わせると新約聖書中最も長い著作となる。

聖書はどの書も神の言葉。そのため、それぞれの書に優劣はなく、どれも重要な書ですが、その上で、ルカの福音書は実に多くの人に愛された書、重要な書と言えます。

 

 書物として第一級の作品と言われるルカの福音書。その書き出しは立派な序文となります。

 ルカ1章1節~4節

私たちの間ですでに確信されている出来事については、初めからの目撃者で、みことばに仕える者となった人々が、私たちに伝えたそのとおりを、多くの人が記事にまとめて書き上げようと、すでに試みておりますので、私も、すべてのことを初めから綿密に調べておりますから、あなたのために、順序を立てて書いて差し上げるのがよいと思います。尊敬するテオピロ殿。それによって、すでに教えを受けられた事がらが正確な事実であることを、よくわかっていただきたいと存じます。

 

 短くまとめられた序文ですが、多くの情報が込められています。当時、多くの人がキリストの生涯について書き上げようと取り組んでいたこと。ルカ自身も、綿密に調べ上げ、順序立ててこの書を記したこと。この書はテオピロという人に献呈されたこと。(聖書六十六巻のうち、手紙以外で、個人宛に記されたのはルカの文書だけで、非常に稀なことと言えます。)

このテオピロがどのような人物なのか、多くのことは分かりません。名前の意味は、「神に愛された者」あるいは「神を愛する者」。ルカの言葉遣いから、社会的に身分の高い人であること。「すでに教えを受けられた」と言われているので、洗礼を受けて間もないキリスト者か、あるいはキリスト教に好意的な求道者であったと思われます。

ルカは、このテオピロが「すでに教えを受けた」事がらについて、正確な事実であると確信して欲しいという意図のもと、この書を書きました。主イエスについて正確なことを知って欲しい。イエスを救い主として信じてもらいたい。信仰を強めてもらいたい。このルカの願いは、第一義的には、テオピロに対してのもの。しかし当時本を献呈するというのは出版すること、多くの人に見てもらいたいという意図がありましたので、全ての読者への願いと言うことも出来ます。全ての読者が、イエスを救い主と信じるように。全ての読者の信仰が強まるように。このルカの意図に沿って私たちもルカの福音書を読むことが出来るようにと願うところです。

 

 中身の概観ですが、時系列には記されていなく、活動の場所でまとめられているように読めます。誕生・幼少記の出来事(1章~3章)から始まり、ガリラヤでの活動(4章~9章)、ガリラヤからエルサレムへ向かう(9章~19章)、エルサレムでの活動(19章~21章)、十字架と復活の記録(22章~24章)と展開します。

実際のイエス様は、ガリラヤとエルサレムを何度も行き来していますが、ルカはガリラヤからエルサレムへ、十字架へ向けて伝道旅行をしているような姿としてイエス様を記しています。強いて言えば伝道旅行記の印象。十字架での贖いの死と復活こそ、イエス様の活動のゴールであることを示すまとめ方でしょうか。

 

 マタイの福音書は、イエス様の説教が多く記されている書。説教者としてのイエス様の姿が印象的です。マルコの福音書はイエス様の行った奇跡が多く記された書。活動家としてのイエス様の姿に焦点が当たっている。

それでは、ルカの福音書はどうかと言えば、説教の場面も、奇跡を行っている場面も、どちらもあります。ガリラヤでも、ガリラヤからエルサレムへ向かい途上でも、エルサレムについてからも。それぞれの場所で、説教の姿も、奇跡を行う姿もある。今回、この説教の準備で何度もルカの福音書を読みまして、マタイでは説教者、マルコでは活動家のように、ルカに記されたイエス様らしい姿といえば「これ」、という言葉を見つけたかったのですが、私自身は見つけることが出来ませんでした。皆様、是非ともルカの福音書を読んで頂いて、ルカに記されたイエス様と言えば「これ」、という言葉を見つけて、教えて頂きたいと思います。

 

 イエス様の姿で、これと言った特徴を挙げづらいルカの福音書。しかし、福音書としての特徴はいくつも挙げることが出来ます。今日は二つの特徴を確認します。

 特徴の一つは、「賛美・祈り」に焦点が当てられていること。

 ルカの福音書の冒頭、キリストの誕生にまつわる記事において、同時にいくつもの賛美が記されます。最初の歌い手は、母マリヤ。「わがたましいは主をあがめ、わが霊は、わが救い主なら神を喜びたたえます。」(1章46節から)で始まるマニフィカート。二番手は、バプテスマのヨハネの父、ザカリヤ。「ほめたたえよ。イスラエルの神である主を。主は、その民を顧みて、贖いをなし、救いの角を、われらのために、しもべダビデの家に立てられた。」(1章68節から)で始まるベネディクトス。三番手は御使いの軍勢。「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」(2章14節)と歌われるグローリヤ。四番手は、幼子イエスを腕に抱き賛美を歌ったシメオン。「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。」(2章29節から)で始まるヌンク・ディミティス。賛美、賛美、賛美、賛美。四つの賛美で、キリストの誕生を彩るルカ。救い主誕生がいかに喜ばしいことか。情熱的なルカの筆を思わせます。

 ルカの福音書の末尾はどうなっているかと言えば、「彼ら(弟子たち)は、非常に喜びを抱いてエルサレムに帰り、いつも宮にいて神をほめたたえていた。」(ルカ24章52節、53節)として、弟子たちの賛美の姿で閉じられます。最初に賛美、最後に賛美。賛美で包むように記されたルカの福音書。

 

 また「祈り」にも独特の焦点が当てられます。「諦めないで、祈り続けることを教えるイエス様のたとえ話と言えば何か」と問われたら、皆様はどのたとえを思い浮かべるでしょうか。有名な二つのたとえがあり、一つは「真夜中の友人」のたとえ(11章5節から8節)。もう一つは「不正な裁判官」のたとえ(18章1節から8節)。どちらも、一読して「これは何だ」と首を傾げたくなるたとえ。天の父を、寝ぼけ眼の友人や不正な裁判官に見立てて、祈り抜けと言われる。イエス様以外の人が語ったら、不遜と思われるような話ですが、このたとえが記されているのはルカの福音書だけです。

 また、パリサイ人と取税人の祈りと呼ばれるたとえ(18章9節から14節)も有名です。宮で胸を張り、自分の正しさを訴えたパリサイ人。片や、宮から遠く離れて、自分の胸を打ちながら悔い改めた取税人。義とされたのは取税人であったというたとえ話。救済論にまでつながる祈りについてのたとえ話は、これもルカの福音書だけのものです。

 他の福音書には記録されていない、賛美(賛美も祈りですが)や、祈りについての教えを多く記すルカ。ルカの福音書は、賛美の福音書、祈りの福音書と言えるでしょうか。

 

 今日確認したいもう一つの特徴は、当時のユダヤ人の社会で「嫌われている人」「見下げられている人」に焦点が当てられていることが多いということ。

 イエス様は多くのたとえ話を語られましたが、中でも極めて有名なものの一つに、「良きサマリヤ人のたとえ」(10章30節から)があります。律法学者とのやりとりの結果、「神を愛し、隣人を愛する」ことが大事であると確認したところ、律法学者が「では、私の隣人とは誰か。」との問いをきっかけに語られます。ある人が強盗に襲われる。祭司やレビ人が助けない状況で、ユダヤ人が毛嫌いしていたサマリヤ人が、その者を助けたという話。当時のユダヤ人の社会で、徹底的に嫌われている人こそ、正しいことをしたという内容で、質問をしてきた律法学者に対する強い皮肉にもなっています。このたとえが記されているのは、ルカの福音書だけでした。

 

 もう一つ、非常に有名なたとえ話に「放蕩息子」(15章11節から)があります。遺産を受け取り、父のもとを離れた弟息子が、湯水のようにお金を使い、お金がなくなってからは豚の世話する仕事につき、遂には豚のえさを食べたいと思う状態になった。豚は汚れた動物とされていたユダヤの社会において、このように身を持ち崩す様は、これ以上無いほど最低なこと。これはイエス様の創作ですが、当時の社会では、これ以上無いほど、見下げられるような状態として、弟息子を描いたということです。この弟息子が父のもとに帰ると大歓迎を受ける。品行方正と思われた兄息子は、父が弟息子を大歓迎したことに腹を立てたという話。このたとえ話も、ルカの福音書だけに記されたものです。

(正確なことは分かりませんが、イエス様の語られたたとえ話で、最も有名なものを二つ選ぶとしたら、おそらく良きサマリヤ人と放蕩息子の二つになるのではないかと思います。この二つとも、ルカの福音書だけに記されたものでした。)

 

 当時の社会で嫌われていた人と言えば、取税人がいます。支配国であるローマに払う税金を取り立てる人。それも水増しして、多く取った分は自分の給料とする。売国奴、公の泥棒と呼ばれ、裁判においては証言能力無しとされる程、人格を否定された取税人。その取税人のかしらであるザアカイが、主イエスに出会う場面(19章1節から)があります。取税人と交わることなどありえないとされている状況で、イエス様は非難を受けてでもザアカイの家に泊まることを選ばれる。非難されてでも、自分とともにいたいと言う救い主に触れて、ザアカイの人生が大きく変わる。美しく麗しい場面。非常に有名で、多くの人に愛されたこのエピソードが記されているのは、ルカの福音書だけです。

 

 またキリストの十字架の場面。主イエスを中央にして、両隣に犯罪人が磔にされました。このうち一人が、自分のした悪を認めつつ、イエス様に願い出る。それに答える有名な場面があります。

 ルカ23章42節~43節

そして言った。『イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。』イエスは、彼に言われた。『まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。』

 

 磔にされ、あとは死ぬだけ。この処刑が当然と思える人生を送ってきた。これから、真っ当に生きることも出来ない。本当にこれで終わりという状況で、それでもイエスを救い主と信じる者に、どのような恵みが注がれるのか教えてくれる極めて重要な記録。

 ユダヤ人からすれば、木に吊るされて死ぬというのは、神様に呪われた証拠でした。犯罪人として、神に呪われて死ぬ。これ以上ない、どうしようもない人生を送った男が、しかしキリストによって救われる。この十字架上のイエス様と犯罪人のやりとりの記録も、ルカの福音書だけです。

 他にもいくつも例を挙げられますが、このようにルカは「嫌われていた人」「見下げられていた人」に焦点を当てています。ルカの福音書は弱き者の福音書と言えるでしょうか。

 

以上、二つの特徴、「賛美・祈り」に焦点が当てられていること。「嫌われていた人」「見下げられていた人」に焦点が当てられていることを確認しました。実際、その通りであるか確認して頂きたいと思いますし、自分で読んでみて、どのような印象となるか。ルカの福音書の特徴とは何か、考えながら読んで頂きたいと思います。

 最後にルカの福音書の末尾を確認して一書説教を閉じたいと思います。

 ルカ24章44節~53節

さて、そこでイエスは言われた。『わたしがまだあなたがたといっしょにいたころ、あなたがたに話したことばはこうです。わたしについてモーセの律法と預言者と詩篇とに書いてあることは、必ず全部成就するということでした。』そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、こう言われた。『次のように書いてあります。キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。あなたがたは、これらのことの証人です。さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。』それから、イエスは、彼らをベタニヤまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして祝福しながら、彼らから離れて行かれた。彼らは、非常な喜びを抱いてエルサレムに帰り、いつも宮にいて神をほめたたえていた。

 

 この福音書の冒頭で、ルカは、これから記す内容が、正確なことであると受け止めて欲しいと記しました。それ以降、主イエスの生涯を記し、最後にイエス様の言葉と弟子たちの賛美の姿で閉じていきます。最後にイエス様が言われたことは何でしょうか。これまで、イエス様について記されたことは、旧約聖書の成就である。神様が約束したことが実現した、ということです。

 つまりルカは、これから記すことは、間違いなく本当に起こったことと受け止めて欲しいと冒頭で願いましたが、最後はイエス様の言葉を通して、これらのことが実際に起ったというだけではなく、聖書の約束通りのことが実現したと受け止めるようにと言っているのです。そして、そのように信じる者は、「キリストの証人」として生きると言われています。

 

これにてルカの福音書の一書説教は終わりです。この福音書に記されたイエス様は、どのような姿なのか。この福音書の特徴はどのようなものなのか。考えながら、喜びつつ、楽しみつつ、胸を躍らせながらルカの福音書を読んで頂きたいと思います。しかし、読んで知識が増えて終わりということのないように。これらは正確な事実であり、神様の約束の成就であり、それを信じる私は「キリストの証人」として生きる使命が与えられていると確信する読み手となるように。私たちの心も開かれて、聖書を悟ることが出来るように祈りつつ、皆で聖書にあたりたいと思います。

2018年2月11日日曜日

コリント人への手紙第一1章10節~20節「コリント人への手紙第一(2)~十字架のことばは~」


私たちは、先週からコリント人への手紙第一を読み始めました。新約聖書は全27巻。その内21巻が手紙、書簡で占められています。そして、その手紙の内、半分以上の13巻を書き送ったのが使徒パウロで、中でもコリント人への手紙第一は最長の手紙でした。

宛先は、各地にある教会宛もあれば、同労者や親しい友など個人宛てのものもあります。内容も多岐にわたり、キリスト教の基本的教理を教える手紙、間違った教えに惑わされている人々に正しい教えを説く手紙。親しい教会への喜びの手紙もあれば、気落ちしている同労者を励ます手紙もありました。たった一人の奴隷のために筆を執った手紙もあるのです。

それでは、このコリント人への手紙第一は、どの様な手紙と言えるでしょうか。様々な言い方ができると思いますが、あえて一言で言えば、悲しみの手紙と言えるでしょう。

コリント教会は、第二回伝道旅行でヨーロッパに渡ったパウロが建てた教会です。初めて足を踏み入れたヨーロッパの地で、パウロは、人々の生活が圧倒的な異教の影響のもとにあることを経験しました。キリスト教に無関心で、冷淡な人々に取り囲まれました。各地で、ユダヤ人の迫害に苦しめられもしました。それらに加え、長旅の疲れや孤独の寂しさも重なったのでしょうか。コリントに来た時、「私は弱りはて、心は恐れおののいていた」と、自らの心境を告白した言葉が聖書に残っています。

しかし、その様な中、アクラとプリスキラと言う協力者を与えられ、二名の同労者が加わり、ともに宣教することができました。さらに、神様の励ましを受けたパウロは、一年半の間、巨大都市コリントに腰を据えて、無事教会を建て上げたのです。

しかし、それから4年。再び伝道旅行に出たパウロが、海を隔ててコリントの対岸にあるエペソ、今のトルコの町で宣教していた際、コリント教会について非常に残念な知らせが届いたのです。仲間割れ、性的不道徳、愛なき交わり、賜物の乱用、イエス・キリストの復活を疑う人々の存在。どれも、パウロの心を痛ませる問題ばかりでした。

パウロが最も弱さを覚えていた時期に、労苦を重ね建て上げた教会。そのコリント教会が、教会として立てるべき証しを立てることができず、かえって、偶像と不道徳の町コリントの悪しき風潮に影響された。教会としてあるべきところから落ちてしまっている。コリント教会の生みの親であるパウロは、悲しい知らせを耳にしなければならなかったのです。

しかし、親が子を見捨てることができないように、パウロもまた自らが生んだ教会を見捨てることはできませんでした。コリント教会を正しい道に導くために、苦心と配慮を重ねて書き送ったのが、この手紙だったのです。もし、私たちがパウロの立場にいたら、どの様な手紙を書くのか。愛する兄弟姉妹が、クリスチャンとして進むべき道からそれていたとしたら、何と呼びかけるのか。どう語りかけるのか。その様なことを想像しながら、読み進めてゆきたいと思います。

 

1:10~12「さて、兄弟たち。私は、私たちの主イエス・キリストの御名によって、あなたがたにお願いします。どうか、みなが一致して、仲間割れすることなく、同じ心、同じ判断を完全に保ってください。実はあなたがたのことをクロエの家の者から知らされました。兄弟たち。あなたがたの間には争いがあるそうで、あなたがたはめいめいに、「私はパウロにつく」「私はアポロに」「私はケパに」「私はキリストにつく」と言っているということです。」

 

先ず、パウロが取り上げたのは、仲間割れの問題です。仲間割れをしないように、むしろ一致するように。このテーマは、この後4章まで続いてゆきます。

ところで、驚かされるのは、ここでパウロが「兄弟たち」と呼びかけ、「主イエス・キリストの御名によって、あなたがたにお願いします。」と語りかけていることです。

一つ教会の中で、「私はパウロにつく。私はアポロに。私はケパに。私はキリストにつく。」とお互いに争い、割れていたコリント教会。「何だ。キリスト教会と言っても、仲間割れか。愛の宗教と言いながら、争い合う始末か。それじゃあ、この世の人間の集まりと何にも変わらない。」そんな、町の人々の声が聞こえてきそうで、私たちも残念無念です。

私たちでさえ、そうなのですから、教会の生みの親、パウロの心痛は、どれ程深くあったでしょう。それなのに、パウロときたら、彼らに「親愛な兄弟たち」と呼びかけ、「お願いします」と語りかけました。「キリストの使徒として、あなた方に命じる。」そう厳しい調子で書いてもよかったはずなのに、あくまでも同じ神を信じ、同じくイエス様に救われた兄弟の一人として接しています。命令ではなく、お願いとして自分の思いを伝えたのです。

例え、相手に非があり、欠点があったとしても、どこまでも同等、対等な立場で手をさしだしてゆく。そんなパウロの謙遜な態度に、私たち教えられるところです

それにしても、コリント教会の仲間割れ、派閥争いは、一体どうした事でしょう。当時、経済的な繁栄を謳歌したコリント人の気質は、一般的に気ままで、わがまま。深く物事を考えない軽薄な風潮があったと言われます。主義主張よりも人気に左右される。善悪よりも好き嫌いで、人々は行動したと言われます。

そんな風潮に影響されたのでしょうか。皆が皆、イエス・キリストを信じる者であるのに、いつしか、パウロ派、アポロ派、ケパ派、キリスト派と別れて争う。しかも、知恵を誇るコリント人らしく、いかにも尤もらしい理屈をこねて、競い合っていたらしいのです。

この内、「私はパウロにつく」と言う人々は、コリント教会の生みの親、創設者であるパウロを尊敬し、慕う者たち。「私はアポロに」と言う人々は、パウロの後にコリント教会で奉仕したアポロの雄弁な説教を好む者たち。「私はケパに」と言った人々は、イエス様と行動を共にした12使徒のリーダー、エルサレム教会の大黒柱、使徒ペテロの権威を重んじる者たちを、各々指していたと思われます。

パウロにしても、アポロにしても、ペテロにしても、それぞれ魅力ある人物です。そのうち誰を好むのかと言うことは、一人一人の自由でしょう。パウロを親しく感じる人、アポロを好む人。ぺテロに憧れる人。そういう人々がいても良いと思うのです。しかし、それが仲間割れに発展し、争い、対立となると、事は別です。

さらに、この3グループに対して、もう一つ。「私はキリストにつく」と言うグループがありました。「私はキリストにつく」と言うのですから、一見、正しいことを言っている人々と見えます。しかし、その実態はと言うと、「キリストのみに従う」と尤もらしいスローガンを掲げながら、他方、パウロやぺテロの教えを蔑ろにする一団であったと考えられます。

「私はキリストに」と言いながら、キリストご自身が使徒として立てたパウロやぺテロを軽視するとしたら、それは、キリスト派ではなくキリスト軽視派と言わなければなりません。

「パウロ派、アポロ派、ケパ派、キリスト派の皆さん。皆さんは、人を見てキリストを見ていないのではないですか。私たちを罪から救ってくださったのは、パウロでも、アポロでも、ケパでもなく、イエス・キリストであることを忘れていませんか。くれぐれも仲間割れしないように、一致を求める同じ心をもつように、目指すべきは教会の一致であると言う考え、判断に皆が立つように。私は、皆さんと同じ兄弟として、私たち皆の主イエス・キリストの御名によって、あなたがたにお願いしたいのです。」この様な、パウロの声が響いてくるところです。そして、ここまでよく悲しみを制してきたパウロですが、ついにキリストのことを思うと心押さえきれず、叫び声をあげたのです。

 

1:13~17「キリストが分割されたのですか。あなたがたのために十字架につけられたのはパウロでしょうか。あなたがたがバプテスマを受けたのはパウロの名によるのでしょうか。私は、クリスポとガイオのほか、あなたがたのだれにもバプテスマを授けたことがないことを感謝しています。それは、あなたがたが私の名によってバプテスマを受けたと言われないようにするためでした。私はステパナの家族にもバプテスマを授けましたが、そのほかはだれにも授けた覚えはありません。キリストが私をお遣わしになったのは、バプテスマを授けさせるためではなく、福音を宣べ伝えさせるためです。それも、キリストの十字架がむなしくならないために、ことばの知恵によってはならないのです。」

 

イエス様のもと一つ体であるはずの兄弟姉妹が、声を荒げて人を責める。相手の欠点をあげつらって争う。そんな有様に、パウロはいたたまれなかったのです。キリストの体を引き裂いて、四つに分けあうつもりですか。思わず、嘆きの声をあげています。

どうも、コリント教会の指導者の中には、洗礼を施すことによって、自分達のグループの勢力を増すことを計る者がいたらしい。洗礼を授ける人の数を増すことで、優劣を決めようと考える者がいたのではないか。そう推測されてきたところです。

洗礼を定めたイエス様よりも、洗礼の司式者である人間を重視する。神様の恵みと祝福を届けてくださるイエス様を誇るのでなく、有名な~先生に洗礼を授けてもらったことを得意に思う。そんなコリント教会の悪しき風潮に、パウロは釘を刺しました。

「私は、クリスポとガイオのほか、あなたがたのだれにもバプテスマを授けたことがないことを感謝しています。それは、あなたがたが私の名によってバプテスマを受けたと言われないようにするためでした。」

かってコリント教会で奉仕した時、パウロは宣教に専念し、洗礼を授けることは他の指導者に任せていたようです。自分の主な使命は「洗礼よりも宣教」と考えていたからでしょう。パウロが洗礼を施した人はクリスポ、ガイオ、ステパナの家族と、思いの他少人数でした。けれども、今はそれで良かったと思っている。いや、神様に感謝しているとさえ、言い放ったのです。

もちろん、だからと言って、パウロが洗礼を軽視したり、無視したりしたことはありません。もともと、洗礼はイエス様の命令、イエス様が定めたものでしたから。パウロの願いはただ一つ。洗礼を使って自分たちの勢力を増し加えようと計るコリント教会の人々を戒めること。彼らが自らを省みて、争いをおさめることだったのです。

そして、宣教を神様から与えられた主な使命としたパウロは、コリント伝道にあたってよくよく考えたことがあった様です。それは、宣教の中心をキリストの十字架に置くこと、キリストの十字架を、ことばの知恵によらずに伝えることでした。

ことばの知恵とは、ギリシャ人が好んだ雄弁、高尚な哲学論議、洗練された会話などを意味します。キリストの十字架と言う話題は、そうした雰囲気の中にあっては、不釣り合いだったことでしょう。当時の人々は十字架を忌まわしいものとし、嫌っていました。「礼儀ある場では、十字架について口にしてはいけない。」と言われ、十字架の話題はマナー違反とされていたのです。

パウロはユダヤ教の律法学者。一流の知識人でもありましたから、ことばの知恵が好まれる社会で、キリストの十字架をどのように説明したら、人々が受け入れやすいか。よくよく思案したことでしょう。そして、使徒の結論は、ことばの知恵によっては、本来のキリストの十字架はむなしくなってしまう。むしろ、十字架の生々しい事実を突きつけられてこそ、人は自分の罪の酷さを思い、それを赦すために命をささげたキリストの愛を知ることができる。その様な確信だったのです。

 

1:18~20「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする。」知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。」

 

今でも同じことが起こります。十字架のことを聞くと、「二千年前に死んだ人のことが、私と何の関係がありますか」と反発する人がいます。自分の罪を思い、キリストの愛にすがる人もいます。「十字に死んだ者を救い主と信じる等、愚かなこと。もっと宗教を学び、知識を積み重ねるとか、他の学者、賢者の意見も聞いてみるとか。するべきことがあるでしょう。」そう考え、離れてゆく人がいます。罪を悔い十字架のイエス様にひざまずく人もいる。昔も今も、人々の応答は真っ二つなのです。

「しかし、コリントの兄弟たちよ。あなた方の好きな人間の雄弁や議論や人間の知恵が、私たちを罪から救ったのですか。私たちの生き方を変えたのですか。そうではないでしょう。私たちを罪から救い、生き方を変えたのは、キリストの十字架に示された神の力ではなかったのですか。」そう、パウロは訴えています。

人を罪から救い、その生き方を真に変える力があるか、否かと言う点で見ると、この世の知恵は役に立たない。この世の賢者、学者、議論家のことばも無力。そうパウロは宣言し、十字架の福音を高く掲げてみせたのです。

パウロも認めていたように、コリント教会は賜物に恵まれた教会でした。特に、ことばの賜物と知識の賜物は、彼らの得意とするところでした。けれども、今日見たように、彼らはそれを自分の正しさを証明するため、相手を責めるため、倒すために使っていました。賜物を悪用して、仲間割れを起こし、神様を悲しませていたのです。コリントの町に良い証を立てるべき教会が、かえって社会の悪しき風潮に染まっていました。

私たちも、同じことを家族に、友に、兄弟姉妹に対してしたことはないでしょうか。与えられた賜物を、家族を責め、友を非難し、兄弟姉妹を倒すために使ってはいないでしょうか。

そのような時は、パウロが高く掲げた十字架、そこにつけられたイエス様の生き方をよくよく考えたいと思うのです。そうする権利があったにもかかわらず、神としての権威で罪人を責め、滅ぼそうとはしなかったイエス様。むしろ、持てる力のすべてを、罪人を救うため,清めるために使い、私たちに仕えてくださった十字架のイエス様を見上げ、家族、友、兄弟姉妹、大切な隣人に対する自らのことばや態度を修正してゆきたいのです。

最後に、誰が一番偉いのかを議論し争う弟子たちに、イエス様が言われたことば、今日の聖句として、読んでおきたいと思います。

 

マルコ10:43b、44「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。」

 

2018年2月4日日曜日

コリント人への手紙第Ⅰ1章1節~9節「コリント人への手紙第一(1)~神は真実であり~」


新約聖書を開きますと、私たちはそこに21通の手紙が残されていることに気がつきます。パウロ、ペテロ、ヨハネなど主に使徒と呼ばれる教会の指導者から、各地の教会にまた個人に送られた手紙が、新約聖書全巻の3分の2を占めているのです。そのうち、使徒パウロが書いた手紙は13通。中でも、全16章に及ぶコリント人への手紙第一は、最長のものとなっています。

 これから私が担当する礼拝の説教で、コリント人への手紙第一を取り上げたいと思ったのには理由があります。それは、コリント教会が置かれていた状況が、現代の私たち日本の教会が置かれている状況とよく似ていることです。

 コリントの町における教会は小さく、クリスチャンは少数派。コリント教会の人々は、異教の影響が圧倒的な社会で暮らしていました。また、「経済は一流、文化は二流」と評されたコリントの人々は、経済的利益の追求には熱心でも、理想も使命感もなく、心が貧しかったとも言われます。

この様な社会で、クリスチャンとしていかに生きるべきか。教会はいかに神を礼拝し、愛し合う交わりを築くことができるのか。社会に対して福音を証ししてゆくことができるのか。パウロの語る教えは、現代の私たちにも大いなる助けになると考えたからです。

それでは、コリントとはどのような町だったのか。世界地図を広げると、ヨーロッパの最も南、アジアに近いところにギリシャがあります。ギリシャと言えば、オリンピックが開かれた町アテネが有名ですが、紀元1世紀、コリントはアテネと並ぶ二大都市でした。

 「学芸はアテネ、経済はコリント」と呼ばれたように、東西南北、交通の中継点という有利な地形に恵まれたこの町は、貿易が盛んで、商業が発展。その富は、当時のギリシャ・ローマ世界随一と言われました。

ギリシャ人、ユダヤ人、ローマ人、フェニキヤ人、東方の諸民族と様々な国から人が集まる、賑やかな国際都市。軍人、商人、船乗り、自由人に奴隷と言った雑多な人々が経済的豊かさの追求に明け暮れるコリント人は、物質的には繁栄するも、道徳的には腐敗している。そんな悪評を立てられていたのです。

 そのシンボルが、町に聳えるアクロ・コリントの丘に建つ神殿でした。神殿には美の女神ビーナスが祭られ、仕える巫女の数はおよそ千人。夜になると、彼女たちが丘を下り町に現れ、人々の欲望を満たす娼婦となったのです。コリントは欲望と快楽の町でもありました。

 このコリントの町で福音を伝え、教会を建てたのが使徒パウロです。パウロは第二回伝道旅行の際(紀元50年頃)、不思議な導きでエーゲ海を渡り、ヨーロッパに福音を運ぶことになります。ピリピ、テサロニケ、ベレヤを巡り、教会を建てると、ついに二大都市のひとつアテネに到着しました。しかし、そこで、人々の福音に対する無関心な態度に直面したパウロは、ただひとり、コリントにやってきたのです。

 アテネの人々の冷淡な反応に気落ちしたのでしょうか。故郷を離れた長旅の疲れからでしょうか。あるいは、一人ぼっちの孤独が心を弱らせていたのでしょうか。この時の心境を、パウロは、こう書いています。

 

 Ⅰコリント2:3「あなたがたといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。」

 

 しかし、神様は弱りはてたパウロのために、一組の夫婦アクラとプリスキラと言う協力者を与えました。パウロの後を追いかけてきたシラスとテモテという仲間も加えてくださいました。さらに、自ら幻に現れて、パウロを励ましたのです。

 

使徒18:9「ある夜、主は幻によってパウロに、「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。…」

 

こうして、パウロは1年半、じっくりと腰を据えて宣教に力を注ぎ、コリントの町にキリスト教会を建て上げることができたのです。その後、パウロは愛するコリント教会に別れを告げ、母教会であるアンテオケに戻りました。

しかし、席を温める間もなく、第三回目の伝道旅行に出発すると、小アジア、今のトルコにあった大都市エペソに入ります。3年間にわたり教会建設に取り組みました。その間のことです。海を挟んで対岸にあるコリントから、残念な知らせが届いたのです。コリントを去ってから4年後のことと考えられます。

パウロの耳に入ってきたのは、仲間割れ、性的不道徳、聖餐式の後の食事交わり会の乱れ、賜物の乱用、復活信仰に動揺する人々など、心痛む問題ばかり。こうした問題に対応するため、パウロによって書き送られたのが、コリント人への手紙第一でした。先ずはパウロからの挨拶です。

 

1:1~3「神のみこころによってキリスト・イエスの使徒として召されたパウロと、兄弟ソステネから、コリントにある神の教会へ。すなわち、私たちの主イエス・キリストの御名を、至る所で呼び求めているすべての人々とともに、聖徒として召され、キリスト・イエスにあって聖なるものとされた方々へ。主は私たちの主であるとともに、そのすべての人々の主です。私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。」

 

 挨拶の中で、パウロは、様々な問題を抱えたコリント教会の人々に何と呼びかけているでしょうか。思い出していただきたいのですが、イエス様は、山上の説教の中で、教会を「世の光、地の塩」と呼びました。私たちの生き方や働きが、この社会に良い影響を与えることを期待されたのです。それなのに、コリント教会は社会に祝福をもたらすどころか、かえってコリントの町の悪しき風潮に染まっていました。

もう一度確認します。コリント教会は仲間割れしていました。お互いに、自分を正しいとし、相手を批判する分裂状態です。性的不道徳の問題がありました。教会員の中に、近親相姦と言うおぞましい罪の中にある者が存在したのです。聖餐式の後の食事交わり会では、持てる者は満腹で、酔っ払う。持たざる者は空腹のまま放っておかれる。酷い有様が繰り返されていたのです。

 「これが本当に教会か?」「なんて、堕落した教会。クリスチャンの風上にも置けない。」。思わず、そんな言葉が口から出てきそうです。読んでいる私たちでも唖然、茫然。開いた口が塞がらない思いがしますから、まして、この教会の生みの親であるパウロは、どれ程厳しいことばをかけることかと思いきや、意外にも、親愛な挨拶が送られます。

 「コリントにある神の教会」「ほかのすべての人ともに、聖徒として召された方々」「キリスト・イエスにあって、聖なるものとされた方々」。こう、パウロは語りかけています。さらに、父なる神とイエス・キリストの恵みと平安を祈る、祝福の祈りも欠いてはいません。

 なぜ、パウロはこのような挨拶ができたのでしょうか。どうして、彼らのために祝福を祈ることができたのでしょうか。

もともと、パウロはユダヤ教のエリート。善悪の区別をはっきりとつける、正義感の強い人でした。そして、正義感が強ければ強いほど、相手の中に欠点や問題を見つけると、相手を責めたり、さばいたりしがちです。パウロがユダヤ教徒であった時、クリスチャンを迫害したのは、この正義感から出た行動であったと考えられます。

 しかし、イエス様に救われたパウロは、昔のパウロではありませんでした。コリント教会の悪、欠点に落胆し、心を痛めながらも、神様にとって彼らがどれ程大切な存在であるかをよく考えたうえで語っているのです。交わりの手を差し出しているのです。

 様々な問題があっても、あなた方は神の教会。あなたがたは神様の恵みにより聖徒として選ばれた者。イエス・キリストが十字架に命をささげ、その罪を清めたもう程に、愛されている兄弟姉妹。心からの挨拶を送るパウロの姿が目に浮かんできます。

 もちろん、だからといって、パウロがコリント教会の悪や欠点を、肯定しているわけでもなければ、認めているわけでもないでしょう。むしろ、「神の教会、聖徒として召された者」と呼びかけることで、彼らを叱咤激励しているように見えます。

「あなた方が神の教会であること、あなた方の中に神がおられることを思い出してください。あなた方は、聖徒として召されたのだから、イエス様があなた方のために十字架に命をささげたのだから、本来の正しい生き方に立ち返ってほしいのです。」そんな使徒の声をここに聞くことができるように思います。

こうして、挨拶を終えると次は本文です。挨拶で、神様の祝福を祈ったパウロが、本文では、コリント教会に与えられた神様の恵みを数えて、感謝をささげています。

 

1:4~7「私は、キリスト・イエスによってあなたがたに与えられた神の恵みのゆえに、あなたがたのことをいつも神に感謝しています。というのは、あなたがたは、ことばといい、知識といい、すべてにおいて、キリストにあって豊かな者とされたからです。それは、キリストについてのあかしが、あなたがたの中で確かになったからで、その結果、あなたがたはどんな賜物にも欠けるところがなく、また、熱心に私たちの主イエス・キリストの現れを待っています。」

 

この場合、神の恵みとは、コリント教会の人々に与えられた賜物を指しています。使徒は、彼らに与えられた賜物のゆえに、特にことばと知識の賜物のゆえに、神様に感謝しているのです。もちろん、この後の手紙に出てくるように、彼らは神の賜物を間違って用いていました。その使い方は、自己中心そのものです。

富める者は己の腹を満たすために行動し、貧しい兄弟たちを省みず、辱めました。聖書の教えを雄弁に語る、ことばの賜物、聖書の教えをよく理解する、知識の賜物。良き賜物を与えられながら、自分を誇示し、人と争い、人に勝つために、これらを用いていたのです。

しかし、そうであったとしても、パウロは、コリント教会の人々が、神様から贈られた長所を認めています。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」で、彼らの行動に問題があるからと言って、与えられた美点まで帳消しにするような態度はとらなかったのです。相手の認めるべきは認める。霊的に成熟した態度と言えます。

もちろん、コリント教会の人々が、神様のみこころを知って、賜物を正しく使うことを、パウロが願っていたことは、言うまでもないでしょう。「あなたがたが、与えられた賜物を正しく用いたかどうか。それをイエス様から問われる日が来る。だから、熱心に主イエス・キリストの現れ、再臨の日を待って、自分の生き方を整えよ。」と勧めていました。

与えられた賜物を神さまのみこころを考え、正しく用いているか。自分のために蓄えるばかり、使うばかりではなかったか。周りの人の必要のため用いることに、どれ程心を配ってきたか。私たちもそう問われる所です。

そして、次にコリント教会に向けられたパウロのことばに、私たちはもっと驚かされます。今日の聖句です。

 

1:8、9「主も、あなたがたを、私たちの主イエス・キリストの日に責められるところのない者として、最後まで堅く保ってくださいます。神は真実であり、その方のお召しによって、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられました。」

 

互いに争う。性的不道徳に陥る。神様の賜物を私物化して、自らを誇る。貧しいものを踏みつけにする。ここまで乱れ、教会としてあるべきところから落ちてしまったとしても、神様はこれを捨て去ることなく、必ずや回復して、最後まで堅く守ってくださる。コリント教会の問題に落胆し、苦しんでいたであろうパウロを支えていたのは、この神様への信頼であったことがわかります。

たとえ、コリント教会の様な最低の線に落ちたとしても、神様が真実だから、私たちはキリストの救いのうちに守られる。コリント教会の人々のために手を差し伸べ、力を尽くしたパウロの心の支え。それは、ただ神様が真実であること。そう教えられるところです。

最後に、二つの大切なことを確認して終わりたいと思います。一つ目は、たとえ相手に非があっても、欠点があっても、私たちはその人をさばき、責める権利はないということです。むしろ、自分も同じ罪人として接してゆく。神様に愛され、イエス様に罪を清められた同じ聖徒として接してゆく。相手の回復のために仕えてゆく。この様な交わりを築いてゆきたいと思うのです。

二つ目は、人間は罪人であり、不真実であっても、神様は真実であることを信じ続けることです。クリスチャンとしてあるべきところから落ちる者も罪人なら、その人をさばき、責める者もまた罪人です。正しいことを決心しても、次の瞬間には間違ったことを選択するのが私たちです。しかし、どこまでも真実である神様を信頼することで、私たちは忍耐し、成長できるのだと思います。

お互いを聖徒として認め、交わる。自分に失望し、人に落胆することがあっても、神様の真実に信頼し続ける。この様な教会を建て上げる歩ことを目指して、私たちの歩みを進めてゆきたいと思うのです。