2018年2月4日日曜日

コリント人への手紙第Ⅰ1章1節~9節「コリント人への手紙第一(1)~神は真実であり~」


新約聖書を開きますと、私たちはそこに21通の手紙が残されていることに気がつきます。パウロ、ペテロ、ヨハネなど主に使徒と呼ばれる教会の指導者から、各地の教会にまた個人に送られた手紙が、新約聖書全巻の3分の2を占めているのです。そのうち、使徒パウロが書いた手紙は13通。中でも、全16章に及ぶコリント人への手紙第一は、最長のものとなっています。

 これから私が担当する礼拝の説教で、コリント人への手紙第一を取り上げたいと思ったのには理由があります。それは、コリント教会が置かれていた状況が、現代の私たち日本の教会が置かれている状況とよく似ていることです。

 コリントの町における教会は小さく、クリスチャンは少数派。コリント教会の人々は、異教の影響が圧倒的な社会で暮らしていました。また、「経済は一流、文化は二流」と評されたコリントの人々は、経済的利益の追求には熱心でも、理想も使命感もなく、心が貧しかったとも言われます。

この様な社会で、クリスチャンとしていかに生きるべきか。教会はいかに神を礼拝し、愛し合う交わりを築くことができるのか。社会に対して福音を証ししてゆくことができるのか。パウロの語る教えは、現代の私たちにも大いなる助けになると考えたからです。

それでは、コリントとはどのような町だったのか。世界地図を広げると、ヨーロッパの最も南、アジアに近いところにギリシャがあります。ギリシャと言えば、オリンピックが開かれた町アテネが有名ですが、紀元1世紀、コリントはアテネと並ぶ二大都市でした。

 「学芸はアテネ、経済はコリント」と呼ばれたように、東西南北、交通の中継点という有利な地形に恵まれたこの町は、貿易が盛んで、商業が発展。その富は、当時のギリシャ・ローマ世界随一と言われました。

ギリシャ人、ユダヤ人、ローマ人、フェニキヤ人、東方の諸民族と様々な国から人が集まる、賑やかな国際都市。軍人、商人、船乗り、自由人に奴隷と言った雑多な人々が経済的豊かさの追求に明け暮れるコリント人は、物質的には繁栄するも、道徳的には腐敗している。そんな悪評を立てられていたのです。

 そのシンボルが、町に聳えるアクロ・コリントの丘に建つ神殿でした。神殿には美の女神ビーナスが祭られ、仕える巫女の数はおよそ千人。夜になると、彼女たちが丘を下り町に現れ、人々の欲望を満たす娼婦となったのです。コリントは欲望と快楽の町でもありました。

 このコリントの町で福音を伝え、教会を建てたのが使徒パウロです。パウロは第二回伝道旅行の際(紀元50年頃)、不思議な導きでエーゲ海を渡り、ヨーロッパに福音を運ぶことになります。ピリピ、テサロニケ、ベレヤを巡り、教会を建てると、ついに二大都市のひとつアテネに到着しました。しかし、そこで、人々の福音に対する無関心な態度に直面したパウロは、ただひとり、コリントにやってきたのです。

 アテネの人々の冷淡な反応に気落ちしたのでしょうか。故郷を離れた長旅の疲れからでしょうか。あるいは、一人ぼっちの孤独が心を弱らせていたのでしょうか。この時の心境を、パウロは、こう書いています。

 

 Ⅰコリント2:3「あなたがたといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。」

 

 しかし、神様は弱りはてたパウロのために、一組の夫婦アクラとプリスキラと言う協力者を与えました。パウロの後を追いかけてきたシラスとテモテという仲間も加えてくださいました。さらに、自ら幻に現れて、パウロを励ましたのです。

 

使徒18:9「ある夜、主は幻によってパウロに、「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。…」

 

こうして、パウロは1年半、じっくりと腰を据えて宣教に力を注ぎ、コリントの町にキリスト教会を建て上げることができたのです。その後、パウロは愛するコリント教会に別れを告げ、母教会であるアンテオケに戻りました。

しかし、席を温める間もなく、第三回目の伝道旅行に出発すると、小アジア、今のトルコにあった大都市エペソに入ります。3年間にわたり教会建設に取り組みました。その間のことです。海を挟んで対岸にあるコリントから、残念な知らせが届いたのです。コリントを去ってから4年後のことと考えられます。

パウロの耳に入ってきたのは、仲間割れ、性的不道徳、聖餐式の後の食事交わり会の乱れ、賜物の乱用、復活信仰に動揺する人々など、心痛む問題ばかり。こうした問題に対応するため、パウロによって書き送られたのが、コリント人への手紙第一でした。先ずはパウロからの挨拶です。

 

1:1~3「神のみこころによってキリスト・イエスの使徒として召されたパウロと、兄弟ソステネから、コリントにある神の教会へ。すなわち、私たちの主イエス・キリストの御名を、至る所で呼び求めているすべての人々とともに、聖徒として召され、キリスト・イエスにあって聖なるものとされた方々へ。主は私たちの主であるとともに、そのすべての人々の主です。私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。」

 

 挨拶の中で、パウロは、様々な問題を抱えたコリント教会の人々に何と呼びかけているでしょうか。思い出していただきたいのですが、イエス様は、山上の説教の中で、教会を「世の光、地の塩」と呼びました。私たちの生き方や働きが、この社会に良い影響を与えることを期待されたのです。それなのに、コリント教会は社会に祝福をもたらすどころか、かえってコリントの町の悪しき風潮に染まっていました。

もう一度確認します。コリント教会は仲間割れしていました。お互いに、自分を正しいとし、相手を批判する分裂状態です。性的不道徳の問題がありました。教会員の中に、近親相姦と言うおぞましい罪の中にある者が存在したのです。聖餐式の後の食事交わり会では、持てる者は満腹で、酔っ払う。持たざる者は空腹のまま放っておかれる。酷い有様が繰り返されていたのです。

 「これが本当に教会か?」「なんて、堕落した教会。クリスチャンの風上にも置けない。」。思わず、そんな言葉が口から出てきそうです。読んでいる私たちでも唖然、茫然。開いた口が塞がらない思いがしますから、まして、この教会の生みの親であるパウロは、どれ程厳しいことばをかけることかと思いきや、意外にも、親愛な挨拶が送られます。

 「コリントにある神の教会」「ほかのすべての人ともに、聖徒として召された方々」「キリスト・イエスにあって、聖なるものとされた方々」。こう、パウロは語りかけています。さらに、父なる神とイエス・キリストの恵みと平安を祈る、祝福の祈りも欠いてはいません。

 なぜ、パウロはこのような挨拶ができたのでしょうか。どうして、彼らのために祝福を祈ることができたのでしょうか。

もともと、パウロはユダヤ教のエリート。善悪の区別をはっきりとつける、正義感の強い人でした。そして、正義感が強ければ強いほど、相手の中に欠点や問題を見つけると、相手を責めたり、さばいたりしがちです。パウロがユダヤ教徒であった時、クリスチャンを迫害したのは、この正義感から出た行動であったと考えられます。

 しかし、イエス様に救われたパウロは、昔のパウロではありませんでした。コリント教会の悪、欠点に落胆し、心を痛めながらも、神様にとって彼らがどれ程大切な存在であるかをよく考えたうえで語っているのです。交わりの手を差し出しているのです。

 様々な問題があっても、あなた方は神の教会。あなたがたは神様の恵みにより聖徒として選ばれた者。イエス・キリストが十字架に命をささげ、その罪を清めたもう程に、愛されている兄弟姉妹。心からの挨拶を送るパウロの姿が目に浮かんできます。

 もちろん、だからといって、パウロがコリント教会の悪や欠点を、肯定しているわけでもなければ、認めているわけでもないでしょう。むしろ、「神の教会、聖徒として召された者」と呼びかけることで、彼らを叱咤激励しているように見えます。

「あなた方が神の教会であること、あなた方の中に神がおられることを思い出してください。あなた方は、聖徒として召されたのだから、イエス様があなた方のために十字架に命をささげたのだから、本来の正しい生き方に立ち返ってほしいのです。」そんな使徒の声をここに聞くことができるように思います。

こうして、挨拶を終えると次は本文です。挨拶で、神様の祝福を祈ったパウロが、本文では、コリント教会に与えられた神様の恵みを数えて、感謝をささげています。

 

1:4~7「私は、キリスト・イエスによってあなたがたに与えられた神の恵みのゆえに、あなたがたのことをいつも神に感謝しています。というのは、あなたがたは、ことばといい、知識といい、すべてにおいて、キリストにあって豊かな者とされたからです。それは、キリストについてのあかしが、あなたがたの中で確かになったからで、その結果、あなたがたはどんな賜物にも欠けるところがなく、また、熱心に私たちの主イエス・キリストの現れを待っています。」

 

この場合、神の恵みとは、コリント教会の人々に与えられた賜物を指しています。使徒は、彼らに与えられた賜物のゆえに、特にことばと知識の賜物のゆえに、神様に感謝しているのです。もちろん、この後の手紙に出てくるように、彼らは神の賜物を間違って用いていました。その使い方は、自己中心そのものです。

富める者は己の腹を満たすために行動し、貧しい兄弟たちを省みず、辱めました。聖書の教えを雄弁に語る、ことばの賜物、聖書の教えをよく理解する、知識の賜物。良き賜物を与えられながら、自分を誇示し、人と争い、人に勝つために、これらを用いていたのです。

しかし、そうであったとしても、パウロは、コリント教会の人々が、神様から贈られた長所を認めています。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」で、彼らの行動に問題があるからと言って、与えられた美点まで帳消しにするような態度はとらなかったのです。相手の認めるべきは認める。霊的に成熟した態度と言えます。

もちろん、コリント教会の人々が、神様のみこころを知って、賜物を正しく使うことを、パウロが願っていたことは、言うまでもないでしょう。「あなたがたが、与えられた賜物を正しく用いたかどうか。それをイエス様から問われる日が来る。だから、熱心に主イエス・キリストの現れ、再臨の日を待って、自分の生き方を整えよ。」と勧めていました。

与えられた賜物を神さまのみこころを考え、正しく用いているか。自分のために蓄えるばかり、使うばかりではなかったか。周りの人の必要のため用いることに、どれ程心を配ってきたか。私たちもそう問われる所です。

そして、次にコリント教会に向けられたパウロのことばに、私たちはもっと驚かされます。今日の聖句です。

 

1:8、9「主も、あなたがたを、私たちの主イエス・キリストの日に責められるところのない者として、最後まで堅く保ってくださいます。神は真実であり、その方のお召しによって、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられました。」

 

互いに争う。性的不道徳に陥る。神様の賜物を私物化して、自らを誇る。貧しいものを踏みつけにする。ここまで乱れ、教会としてあるべきところから落ちてしまったとしても、神様はこれを捨て去ることなく、必ずや回復して、最後まで堅く守ってくださる。コリント教会の問題に落胆し、苦しんでいたであろうパウロを支えていたのは、この神様への信頼であったことがわかります。

たとえ、コリント教会の様な最低の線に落ちたとしても、神様が真実だから、私たちはキリストの救いのうちに守られる。コリント教会の人々のために手を差し伸べ、力を尽くしたパウロの心の支え。それは、ただ神様が真実であること。そう教えられるところです。

最後に、二つの大切なことを確認して終わりたいと思います。一つ目は、たとえ相手に非があっても、欠点があっても、私たちはその人をさばき、責める権利はないということです。むしろ、自分も同じ罪人として接してゆく。神様に愛され、イエス様に罪を清められた同じ聖徒として接してゆく。相手の回復のために仕えてゆく。この様な交わりを築いてゆきたいと思うのです。

二つ目は、人間は罪人であり、不真実であっても、神様は真実であることを信じ続けることです。クリスチャンとしてあるべきところから落ちる者も罪人なら、その人をさばき、責める者もまた罪人です。正しいことを決心しても、次の瞬間には間違ったことを選択するのが私たちです。しかし、どこまでも真実である神様を信頼することで、私たちは忍耐し、成長できるのだと思います。

お互いを聖徒として認め、交わる。自分に失望し、人に落胆することがあっても、神様の真実に信頼し続ける。この様な教会を建て上げる歩ことを目指して、私たちの歩みを進めてゆきたいと思うのです。

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